千葉県の柏市と我孫子市の間に手賀沼という大きな沼があります。ご存知でしょうか?都心へのアクセスも良く、湖沼の原風景が残り、年間約100種類の野鳥が来るところです。
大正初期、後に民藝運動を起こす柳宗悦はここの沼畔景色に惚れ、移住し、日本全国の民衆の工芸品の探究活動を開始していました。また白樺派と呼ばれた志賀直哉や武者小路実篤、随筆家、俳人であり新聞記者であった杉村楚人冠、陶芸家のバーナードリーチという文化人たちもこの風光明媚な地に移り住み、文化人たちの出会いと絆の地にもなりました。彼らを魅了したのが南傾斜の先に広がって見えるそして日々変わる太陽、空、水面そして漁業風景でした。
しかし、昭和中期に干拓と宅地化が進み、生活雑排水から「湖沼汚濁度順位」というもので全国ワースト1位となってしまい、今もなおワーストランキング上位のままです。
これは恥ずべきことだと地域行政が水質改善の努力を始めても、すっかり汚れきった水はすぐには戻りません。なぜ水質汚染から沼を本気で守ろうとしなかったのかが不思議ですが、それが高度成長期社会の高揚がもたらした負の副産物でもあったと思えます。
企業にも「水質」があるのではないでしょうか。企業風土に慣れないということは、水が合わないとも表現されます。業績以外のことが理由で、良い人が来ない、良い人が去るという手遅れ状態になる前に、会社は「浄化用水の注入」「浚渫」「面源負荷」という対策を講じなければなりません。
手賀沼の素晴らしい景色そして水上に綺麗な鳥がたくさんやってくる一方で、水面下で多くの魚介類や水生動物が死滅したという事実を知り、こんなことを連想してしまいました。
休日の夕暮れどきの沼畔風景
תגובות